Monday, January 09, 2006

Promises / プロミス

イスラエル軍の攻撃。パレスチナ人自爆テロ。ヨルダン川西側地区におけるユダヤvs.アラブの報復合戦は、今なお毎日のようにニュースになっている。このドキュメンタリー映画は、イスラエルとパレスチナ双方の子どもたちをターゲットにインタビューを重ね、彼らの言葉を通して現地の気持ちを伝えてくれる。

私は以前、アメリカのユダヤ人集住地区にアパートを借りていた。シナゴーグ(礼拝堂)やユダヤ人コミュニティ・センターは街路の中心に位置し、スーパーマーケットには、ユダヤ人やユダヤ教に関連した生活用品や食料品が並べられていた。映画では子どもたちから怖いと言われていた、オーソドックス派の人も日常的に目にした。また、東欧からの移民で英語もままならない人も少なからずいた。

大学には当然、たくさんのユダヤ人教授や学生がいた。多民族国家アメリカの一員である彼らの多くは、時にはそれとなくまたあるときには誇張して、ユダヤ人としての民族性を主張しているようにも見えた。白黒はっきりする人が多いと言われているが、確かにそういう人もいた。が、その中にはナイーブさが見え隠れしていた。

一方で私は、ヨルダンからの友達も持った。彼らの中には、元パレスチナ難民もいた。ヨルダン人の友達がある日、パレスチナ紛争のことを話題に出して言った。「考えても見てよ、目の前で自分の家族が強姦されて殺されてるんだよ。君がもし同じ目に遭っっていたらどうするよ。簡単に気持ちが収まるか?」具体性を持った問いかけに、返す言葉を失ったのを覚えている。フランス人と結婚していたその友人は、いったんは私と同じ地区のアパートを借りたが、ユダヤ人が多くいる中では居心地が悪くなり、他へ引っ越してしまった。

さて、この映画でも、友達や親類が殺されることで根深く残る、敵への憎しみが口をついて出てきた。それも子どもの口からだ。言い伝えられ、また自身が見聞きしてきた敵との物理的距離は実際近い。遠く引き裂かれていた心の距離は、イスラエルに親類を持つアメリカ人監督らが互いを引き合わせると、さすがは子どもで遊びのうちに急速に縮まった。

必要なのはイスラエル軍の撤退、と監督は言う。国家としてのイスラエルとイスラエル国民を一緒くたにするのは無理がある。ユダヤ人とて色々な人がいる。相互の人的交流と丁寧な対話を続ければやがて平和はやってくる。製作者のそうしたメッセージは届いていないのか、それから数年が経ち、紛争が悪化の一途を辿っている。子どもたち双方の交流はもはや社会的に叶わなくなってしまった。今では、当時のような映画をつくることさえ難しいそうだ。

本編ではないが、このような映画の意義として印象的なのは、アラブ側で映画の上演が禁止されたことに対する監督の言葉だ。「禁止されれば海賊版が家庭に出回る。だから、字幕をつけて高画質海賊版ビデオテープを流通させる。」私のなかの「海賊版」の意味が改められた思いがした。

プロミス
プロミス
posted with amazlet on 06.01.09
ビデオメーカー (2003/01/31)

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